98/4/26 絨毯工場 コンヤ
宿泊地;カッパドキア ホテル;mustafa hotel
モーニングコール6:30 パッケージダウン7:15 朝食6:30
出発8:00 夕食19:30
ホテルを出発
ダルファンという谷
岩の侵食がすごい。
ラクダの形に似た岩。
ナポレオンの帽子に似た岩がある。
■ガイドさんの説明
絨毯は遊牧のときに使われる。
2,000年くらい続いている。
共和国の時代になっても変わってない。
トルコ独特の絨毯の織り方がある。
材料は羊毛。
国営の工場でやっている「ヘレキ」の絨毯が有名。
品質が優れている。
トルコでは、絨毯の偽物が出回っている。
嫁入り道具として自分で織った絨毯を持参していた。
■旅行記
国営の絨毯工場
手織りで、実際に織っているのは女性だった。
小さい子供もいた。
小さいときから教えている。
とても大変な技術を持って織っているように思えた。
トルコ絨毯の織り方は、
他の織り方ペルシャ等と異なり折り返す回数が多い。
そのために織るのに手間がかかる。
しかし丈夫で長持ちする。
お茶をいただきながら立派な絨毯を見せていただいた。
金額的には、かなり高いような気もしたが
どれも立派なもので美しかった。
絨毯を買うつもりはなかったが、
店員さんが熱心に進めてくれるので、飾りものにする絨毯を買った。
絨毯工場からコンヤへバスで移動 225km
■ガイドさんの説明
ぶどう畑が多い。
カッパドキアで一番大きい町、ネーシフレシュ(約8万人)にカッパドキア大学がある。
これから行くコンヤは、神秘な音楽、儀式で使用する音楽で有名。
途中岩窟の町がある。
新興住宅と岩窟の町が混在している。
■旅行記
新興住宅にもモスクが点在している。
集合住宅の中心にモスクがある。
高い塔と輝く屋根、 どこも似たような形。
どんよりとして曇り空が続く。
道路は殆ど信号機が無いのでノンストップで走る。
ベンツの自動車工場がある。
トルコで1番広いマタライナ平野を通っている。
サトウの原料となるサトウ大根 小麦粉が多い。
畑にやる水は地下水を汲み上げる。冬は雪が降る。
アナトリア地方の建築は、
新石器時代から続いている材料、 白ボシレンガを使う。
ときどき、運転手ホセさんの「ピプピパ」の警笛が鳴る。
バスは町中は徐行する。
ぶどうの木、広々とした麦畑、じゃがいも畑、
日本の農業と当地では耕地面積が異なる。
農業のやりかたも異なると思う。
日本の農業をやっている人が、
トルコの農業をやればやりがいがあると思う。
横に白く見えるのは放牧の羊
■ガイドさんの説明
バスは今、最近できた町、アッサラ、
人口約12万人を通っている。
11世紀頃、サルチャルトルコ人が ロシア国境から小アジアに入ってきた。
ローマ帝国に、サルチャルトルコ人は草原で勝利し、
征服し、首都をコンヤとした。
コンヤには 12,13世紀頃建てられたものが多数あった。
サルチャルトルコ人は14世紀まで続いた。
11〜14世紀、サルチャルトルコ人によって作られたもので、
シルクロードが一番立派。
有田、伊万里、中国の焼き物が、シルクロードを通り運ばれた。
13〜17世紀は貿易が発展。
キャラバンサライ(隊商宿)
アッサライ郊外にあるキャラバンサライ(隊商宿)を見学。
kervan sarayiはシルクロード沿いに作られた。
当時、交易の利点は大きかったが、
隊商はつねに盗賊などによる略奪の危険にさらされた。
スルタンは、 各地に小城塞のような堅固な宿泊施設を設け、
交易振興を図った。
3種類のキャラバンサライがあった。
小さい宿は「ハン」。
普通宿は「キャラバンサライ」、40km毎にあった。
大きい宿は「スルタンハン(大様の○○)」 。
今から見学するのは大きい宿
スルタノハナsultahaniの隊商宿がある。
■旅行記
バスの中は民族音楽の曲が流れている。
空は雨模様・・・。あいにくの雨のドライブ。
今 、13:05。
多分 昼食場所となるコンヤまでは
70kmくらいあると思われる。
バスの窓は、雨に濡れて見えなくなってしまった。
無言で昼食までは耐えなければならない状態。
バス旅行も窓の外が見えなくては暇になってしまう。
見えにくい窓から外を眺める一面続く平地。
緑と茶色の土と荒れ地の連続。
緑地(麦畑)を見ると十分な食料を確保できると考える。
■ガイドさんの説明
コンヤの街の歴史。
広大なアナトリア・ステップ高原の中央に位置する。
トルコで最大面積。
コンヤ県の首都。
ルーム・セルジュク朝のケイクバートゥ1世のとき繁栄。
当時建造された多くの神学校やモスクが、
古都特有の雰囲気を漂わしている。
BC15世紀ローマ人が占領。
11世紀アルチュクトルコ人が征服。
当時首都。
第一次産業は農業。
小麦粉工場多数。
現在の人口は80万人。
コンヤの観光は、博物館となっている
ビックカラタイ神学校とメヴラーナ博物館の2ヶ所。
コンヤの街
■メヴラーナ博物館
旋舞教団の祖メヴラーナの霊廟跡。
青緑色のタイルに覆われた塔が建ったのは、
13世紀末のセルジュク時代。
後のオスマン時代に、
モスクやマナトゥル(僧院)が加えられ現在の形になった。
博物館となった現在も、回教徒に重要な聖地。
聖者の象徴、大きなターバンをのせた棺にむかい祈る人がいる。
■カラタイ タイル美術館
カラタイ学校は、スルタン=ケイガウス2世の時代、
1251年、エミル・ジュラレッディーンカラタイにより設立された。
オスマン・トルコ時代にも使用された。
19世紀末に閉校。
アナドルセルチュク時代のタイル細工で有名。
1955年にタイル美術館として一般公開。
■メヴラーナの旋舞
見なかったが、メヴラーナの旋舞という踊りが有名。
メヴラーナ教団は13世紀に始まった。
神秘主義的色合いの強い教団。
踊りは、修行僧たちが舞踊によって無我境にはいり、
神と一体になることを目指す。
旋舞は、ゆるやかにはじまり、
時間の経過とともにしだいに激しくなる。
■旅行記
2つ目の博物館(メヴラーナ博物館)の見学途中に
雷雨が降ってきてかなり濡れた。
バスでの移動中も雨が降ったりやんだりしていた。
バスの窓が雨で汚れ見えなくなるのには困った。
観光が少なかった分、
部屋にいる時間が長くなり、比較的のんびりできた。
きゅうりの小さな塩漬、お茶、チーズはおいしい。
ずっとお世話になり続けたガイドさん。
いといろと親切にしていただきありがとうございました。
宿泊地;コンヤ ホテル;hotel dundar