98/4/24 アンカラ カッパドキア。
宿泊地;アンカラ 
ホテル;dedeman hotel ankara  
モーニングコール7:00  パッケージダウン7:45。朝食7:00

出発8:30 
出発ちょっと前に、ひとりで、ふらふらと散歩。
外に出る。
思ったより寒い。
寒さに対しては考えがちょっと甘かったか?
見知らぬ人に“コーリアからきたのか?”と尋ねられる。
昨日も空港で同様のことがあった。
韓国の人が多いからだろうか。
それとも・・・・? 
街中は車が結構多い。
絵はがきを3通出す。
100万TLで55万TLのおつりがきた。
15万TL/枚の料金みたいだ。
外にあるポストに、自分で入れろということなので入れた。
多分言われたポストだと思う。
無事着くかどうかは帰ってからの楽しみ。
日本のポストとは形状・色が異なる。
無事着いていた。

アナトリア文明(考古学)博物館
 
博物館はアンカラに残るオスマン建築。 
1464〜1471年に、建設されたベデステン バザール。
貴重な品々の保管場だった。 
1960年代、大規模な修復
アナトリア文明博物館となる。
博物館はドーム屋根。
大きくはない。
紀元前6千年前の集落。
世界最古の町 チャタル・ホユックの神殿復元。
青銅器時代 、ヒッタイト時代 、フリギア時代の展示多数。
チグリス、ユーフラテス2つの川に挟まれた、メソポタミア文明が栄えた頃のものが多い。
旧石器時代〜新石器時代〜銅石器時代〜初期青銅器時代〜
アッシリア植民市〜ヒッタイト ヒッタイト帝国  
後期ヒッタイト〜フリギア〜ウラルトゥ〜ギリシオ、ローマの物が綺麗に並んでいた。
博物館内で置物 
Stag Statuette:鹿のような形をしたブロンズ像 1つ、 water1本、 本1冊を買う。
建物の外でバスで、博物館にきた小学生の写真を撮った。
先生が笑顔で声をかけてきた。 
笑顔で近寄ってきた学校の先生に名刺をいただく。
生徒も全員笑顔で挨拶。 
今回のトルコ旅行中何処でも見られた。
日本人に好意を持っていてくれていることが分かる。
トルコの人は大変な親日家といわれる。
一方、申し訳ないが、トルコのことをほとんど知らない。
このギャップは何????



■アチャトルク廟   
アチャトルクは、近代トルコの建国の父といわれる。
アチャトルク廟は、トルコ国民と国民議会の願いにより、1944年から9年かかりで完成。
霊廟奥にアチャトルクの棺がある。
大理石の参道の両側にヒッタイト様式の24頭のライオン像が並んでいる。
軍人が廟を警備。
日本の皇族からの記念品の展示がある。

■アチャトルクについて  
トルコで大変有名。
尊敬されている。
「オスマン・トルコ帝国」発展で16世紀に最盛期 。 
しかし、近代化に失敗。19世紀に衰える。
第一次大戦ドイツ側に参戦し敗北。
国土分割の危機にあう。
ケマルパジャ 後に、アチャトルクと呼ばれる。
「救国戦争」4年間戦い勝利 。
1923年、共和国として初代大統領となる。
1923〜1938年、トルコの近代化をはかる。
日本の明治維新を参考に「日本に学べ」をスローガンにする。
政教分離に成功。
大トルコ国民議会よりアチャトルク トルコの尊父の称号を贈られる。
トルコの英雄。
1938年病死。
アチャトルク廟近辺の桜は日本から贈られたもの。
アンカラ街中の政府関係の建物には、アチャトルクの画が掲げられている。
トルコ国旗をいたるところに見る。 
国家としてのまとまりが強い。
アタチュルク廟見学後、 アンカラからカッパドキアまでバスによる305kmの移動。
移動時間は4〜5時間。  

■ガイドさんの説明   
アンカラのシンボルはヤギ。
アンゴラというヤギの種類からアンカラという名前をとった。 
ヤギも多く飼っていた。 
トルコはイスラム教が99% 。
モスクは多数ある。
イスラム教徒は、次のことを行っている。 
神様を信用する。
モハメットは予言者 ・毎日 日の出前 朝食後 昼 夕 夜 5回礼拝を行う。
モスク中庭で手を清め、神聖なるモスクの中に入る。
メッケ(メッカ)に向かって15分くらいお祈りをする。
日の出前、たしかにホテルのなかで独特の旋律が町全体を覆っていた。
毎年1ヶ月間の断食をおこなう。
断食が終わったら、最初は2度食べる。
断食が終わった3日間は、お祝いをする。
お金のある人は 貧しい人に着るもの食べ物をあげる。
聖地のメッケへ巡礼しなければならない。
紀元後7世紀に生まれた。
豚肉を食べない。 
豚肉は病気の元との考えにより、モハメッドにより、豚肉を食べることは禁止された。
酒は禁止。
女性はスカーフをかぶらなくてはいけない。
1923年まで非常に保守的だった。
アチャトルクの革命により、宗教と日常生活は別になった。
現在宗教は自由。
政府による制限は無い。
今までの習慣で、革命前の生活を続けている人が多い。
しかし、最近は酒を飲んでいる人も多い。 
トルコ国民は2つの義務がある。
ひとつは徴兵制度。
男子は20才から1年半の間、大学生は大学を卒業後。
ガイドさんも経験している。
もう一つは義務教育。
小学校の8年間が、義務教育。 
8-3-4年制。
日本と比べ1年短い。
トルコの産業  
第一次産業は農業。
国土は畑が多い。 
小麦畑が特に多い。
トルコの主食はパン。
トルコでは、何でも作っている。
果樹園も一杯ある。 
第2次産業は織物。
第3次産業はサービス業。 
観光業。
トルコはアジア/ヨーロッパの橋みたいなもの。
元々アナトリア。 
イタリア、 ギリシャ、 東ローマ時代等は領土が広かった。

今、バスはギャルバシという5万人くらいの街を通っている。
モガン湖という湖が近くにある。
ガソリンはアラビアの国から輸入。
ガソリンは約80円/リットル。
自家用車工場は、ホンダ、 トヨタ 。
ドイツはホテル、 イタリアはトファシュ、 韓国は現代、 フランスはレノンの順。
バス工場は、 ミツビシ、 ドイツのベンツ、 ドイツのBMW の順 。
果樹はもも 、さくら 、あんず、
田舎の問題・・山は侵食され木が少ない。
材木は、ポプラの木が主。
村人は、馬車 やトラックで広い畑を動く。
郵便局をPTTという。
郵便は、トルコ〜日本間を約1週間、 料金は14万TL。
電話は、テレホンカードが便利。
国際電話は2つゼロが頭に必要 。00-81-000。
家庭用電圧は220Vを使用。
海抜850m、 中央アナトリア冬は雪が降る。
輸送はトラック中心。 鉄道は少ない。
速度制限は、一般道90km/h、 高速道路230km/h 。
高速道路は4つある。
1.アンカラ〜イスタンブール 450km バス高速道路代約650円。  
2.イスタンブール〜イギネキャ 。 
3.アダナ〜シリア国境   
4.イズミル〜○○   
羊 や牛を飼っている。 一番多いのは羊。 
葬式は火葬、 土葬は無い。 
今バスで聞いている音楽は、イスケダルという人?  
■旅行記  
外の景色はほぼ同じ景色。
ドイツと似ている。
丘のところに、ドイツではぶどう畑があった 。
こちらは何んとなく荒れ地模様。
一面に続く小麦畑。
所々にポプラの木が見える。
家は点々といったところに散在している。
対向する車はトラックが多い。
電力は水力発電所が多い。 火力発電所は少ない。

■ガイドさんの説明  
街は車が多い。
絨毯は、カッパドキアかベルガス。
革製品、トルコ石は有名。
イスタンブールは高い。
ホテルでの買い物は高いのでしない方がよい。
お菓子は色々ある。 
1年くらいもの持ちする。  
■旅行記  
塩の湖につき写真休憩。
湖は雨が降らないと白くなる。
塩の湖 
昔は海だった? 
トルコの塩生産のかなりを占める。
精塩所が近くに多い。  
■ガイドさんの説明 
今夜泊まるホテルに、トルコ風呂がある。
垢すり 男/女別々。 
垢すりマッサージをするのは男の人。
18:00〜20:30男の人 。
20:30〜23:00女の人 。
カッパドキアの有名なものは、wine 。
今バスは、シャレクプーサレ4万人の町を通っている。
シャレクプーサレの第一次産業は農業   
■旅行記  
トイレ休憩。
レストランで20分休憩。
車を洗う人 、花壇に水をやる人等いる。
水が少ない。 川に水が無い。

■ガイドさんの説明
  
カッパドキアの村  第一次産業は農業。 
キューギュルにあるホテルに泊まる。 
畑の水は地下水を汲む。
6,500年前はカッパドキアは内海だった。
2つの火山が爆発し陸地となった。 
石灰岩がもたらす奇形で世界的に有名。
茸の形をした岩は、カッパドキア独特のもの。
今バスは、アズヤラハンという村を通っている。 
隊商宿の廃虚がある。
隊商宿 サラバンキャライ。
貿易用ホテルは、シルクロードに40kmおきくらいにあった。
3日間 隊商宿に泊まったら無料。
村では羊を飼っている。
ヒッタイト人 紀元前  ペルシャ人 カットギヤ  
美しい馬の国がカッパドキヤ 
紀元前2世紀ローマ人が支配。
キリスト教の時代があった。
バスはネチェエル人口7万人の町を通っている。

旅行記  
トルコの印象。
バスでアンカラ〜カッパドキアまでの移動。 
大変な苦痛にはならなかった。
しかし、1日中バスに揺られて疲れた。 
途中の景色は、ほぼ同じ景観。 
緑色になっている小麦畑。
荒れ地の連続。
山は侵食されている。
岩が見えたり薄らと雑草が生えたりの状態。
急峻な山はない。
日本で見る山とは違う。
日本で言えば、はげ山みたいなものが続いている。
カッパドキアの近辺で、ようやく、ぶどうの木が見えてきた。
荒れた山を何とかできれば豊かになれる。
小麦畑のところには殆ど人はいない。
時々、トラクタとミレーの落ち穂拾いの農夫の格好をした人がいる。
広々とした土地をどのように耕作しているのか分からない。
まじめに働く人でなければできない。
川のようなところに水は無い。
ガイドさんは水は地下水を汲むといっていた。
水が豊富にあれば肥沃になる。
日本の水は当地に比べ豊富。
エジプトで感じた乾燥による砂があるといった感じはない。
日本とエジプトとの中間くらいの乾きを感じる。
中国桂林で感じた水の豊富さを思い出した。
人間の生活で、水は全くの基本である。
当地の人は、 観光客の人に人なつこい。
バスでちょっと目があうと手を振ってくる。
全ての人ではないが、大人も子供も関係ない。
ホテルは、団体旅行の日本人で、多分90%位占めている。
夕食は、19:30よりバイキングスタイルだった。
御飯が用意されていた。
カッパドキア近辺で作っているワインがおいしい。
ワインが好評だった。  
食事  料理は極めて質素。 
ホテルにでてくる料理は、当地ではかなり華美なものと思われる。
当地では小麦を主体とした食事。
食事のときにでた りんごを部屋で食べたらおいしかった。
小粒のリンゴ 食べやすい。 
宿泊地;カッパドキア  
ホテル;mustafa hotel