97/5/1・5/2 パリ・帰国  
■97/5/1 バリ。
パリはメーデー。
店は大きいところはほぼ閉店。
8:00頃朝食。 
パン食はやはりちょっと・・・。
ホテル−コンコルド橋−アレクサンドル3世橋−
エッヘル塔−トロカデロ広場−凱旋門−
シャンゼリゼ−コンコルド広場−ラーメン屋ひぐま−
ルーブル美術館内庭−セーヌ川沿いの路上の本屋さん覗き−
のコースをひとりで歩いた。
ホテルまで結構歩いた。


■エッヘル塔
エッフル塔は人が多く登るのは止めた。
東京タワーとは異なり
ゴンドラみたいので脚のところから上っていく。
結構長蛇の列となっていた。
エッフル塔

■トロカデロ広場  
トロデカロ広場の頃は天気も暑くなり
気持ちがよかった。
トロデカロ広場から見るエッフル塔



トロデカロ広場から凱旋門への道は放射状にのびている。
方向が定まらなかったが何とか凱旋門に着けた。
凱旋門にも多くの人が集まっており
人気のほどをうかがわせていた。  
凱旋門  
凱旋門は大きく、力感に溢れていた。
地下をくぐっていくことになっていた。
上にのぼれるようだが、本日は駄目のようだった。



次にシャンゼリゼ通りを通りコンコルド広場へ 
思ったより緑が多く歩きやすかった。
途中で食べたソフトクリームは美味しかった。
シャンゼリゼ通り

メーデーのためか、
シャンゼリゼ通りだけでなく、
街中に花を売っている大人と子供が多くいた。
イタリアから旅行の親子と話をして楽しかった。
花を売っている人。



コンコルド広場−ラーメン屋ひぐま  
コンコルド広場を通り途中フィルム 
iso200/36枚・フジカラーで67Fを買う。
昼は「ひぐま」というラーメン屋さんで塩ラーメンを食べる
60F程度
 ビール19F+塩ラーメン40F+チップ1F。  
ルーブル美術館内庭
  

ルーブル美術館裏側に行く。
ルーブル美術館はメーデーのため休館



セーヌ川で日光浴



セーヌ川沿いの路上の本屋さん覗き  
その後路上の古本屋さんの様子を見てホテルに帰った。
路上の古本屋さん。

セーヌ川にかかる橋で絵を書く人とそれを見る人



ホテルまでの街の様子





泊まったホテル

16:30ホテルを空港に向け出発。  
出発が遅れると放送がいってる。 
成田着は5/2 午後4時くらいになりそう。 
短くもあり長い旅行だった。
■97/5/2 無事帰国。
■全体の感想。  
10数名のツアー。 
名簿無く皆さんが何をされている人か名前も良く分からない。
今まで参加したツアーとは一寸雰囲気が違っていた。
2年ぶりの海外旅行。 
ここ2年間仕事も色々有り、なかなか休みをとれなかった。
今回、思い切って海外に出て、外から日本を考えることができ良かった。
家族とはなれ、一人ホテルの部屋ですごすと若干感傷的になる。
ドイツ・パリと出発前は特に希望していた土地ではない。
出発前は日本をはなれ、外から日本を見ること。
一度も訪れたことのない欧州を覗いてみたいとの気持ちはあった。
自分には何となく落ち着かない、似合わない場所であるような気がしていた。
ドイツ・パリとも、本当の短期間のふれあいだった。
本当は違うかも知れないが、街で会う人、分からない言葉で話した人、全て善い人ばかりだった。
今までの海外旅行もそうだが、あった人全てが善い人。
パリで意味も分からず、言葉も分からず、フランス語と日本語の会話でも何とか意味が通じた。
笑顔が戻ってくる。
基本的に皆良い人だ。
ドイツは何となく日本、特に会津に似ていた。
古い文化を守り、寒さに耐え、華美にならず確実に生活する。
ドイツに留学し勉強する事は良い。
パリは違う。
自分には合わない。
絵画等を勉強するにはよい。
サンタナの哀愁のヨーロッパではなく、
シュペングラーの「沈み行くたそがれの国」の世界を感じた。
パリは城郭。
そのまま住み着いている。
現在の車社会には駐車場の問題があり、都市上は好ましくない。
パリの人は、先達の残した遺産を守りながら誇りを持ち脈々と生きている。
日本では忘れられつつある何か大事な物を守っている。 
ドイツもほぼ同様。  
■空港にて
一人でのツアーに参加は疲れた。 
日本に着いたらしばらく頑張って働かなければならない。
ドイツもフランスも街で見かけた人は大変よく一生懸命働いていた。
パリの街は観光客の人が多く、パリに住んでいる人がどの人なのか分からない。
これは、あくまでもそのごく小さな一片を見たにすぎない。
確かなことは不明だが、両国の雰囲気は異なる。 
数年少なくとも1年くらいは当地に住まないと分からない。
どちらが良いかといえばドイツの方が良い。
身体に合うような気がした。
治安も良いような気がする。
しかし、祖先から引き継いだ文化、財産を立派に活用。
その延長のところに現在の自分達をおいている。

日本でなく、よその国に来ているという実感を持つのは、
団体でなく、一人でブラブラと歩いているとき。
新しい発見の連続となる。
 
パリのメインの通りから少し外れた通りに面している店で買い物をする。
言葉が分からずとも何とか話し合うことができる。
皆さん本当に優しく親切に接してくれた。 
町中で道を聞いても親切に教えてくれた

街の中にある多くの立派な、本当に立派な教会、
欧州におけるキリスト文化の姿を見事に表している。
かつては全世界を相手に君臨したフランス。 
過去の財産の上に基づき生活している。
本当に新しいことを行うには、若干無理があるのかも知れない

一度成長した国は、暫くその延長の上で生活文化を営んでも、
更なる大きな飛躍は難しいのかも知れない。
その点、アジアには無限のパワーが残っているのかも知れない。
日本は一寸無理なような気がする。
中国、東南アジアは驚異的に伸びるだろうか? 
最後に

以上ツアーに参加させていただいて途中に書き留めておいたメモ。  
最近読んでいる福永氏の本に有った言葉が一寸良い。
「現代の人類は、その自ずから文明と称するものの中で痴呆化している。
人類のたゆみなき知的努力が築きあげた現代社会の巨大なメカニズム、
その厭くことをしらない好奇心が生み出した狂気じみたセンセーショナリズム、
そのしかめつらしい価値への陶酔がかきたてるヒステリックな自己主張、
そこにうごめくものは、ただ喪われた自己を狂乱する"文明の奴隷"ではないのか。
荘子は肉体にのみ奴隷があるのではなくして、精神にもまた奴隷があるという。
文明の奴隷とは、精神を苦役の鉄鎖につな繋がれたい謂いではないのか。
現代人はもはや単純の偉大さ、素朴の強靱さを忘れ果てている。
一切の事象を、あ、る、が、まに肯定する逞しい"自然"をうしな喪い果てている」
ご一緒いただいた方、お世話様になりました。