94/9/28 ルクソール西岸 王家の谷
ナイル河を観光客用と思われる船で渡り西岸に行く。
船を降りバスに乗る。
今回のツアーで御世話になったバスは大変立派なものばかりだった。
船着場には、他の観光客、日本人以外の人も沢山、バスも何台か停まっている。
大体一番立派そうなバスが自分達の乗るバスと考えて間違いなかった。
本当に日本の円は外国では強い。
やはり1ドル200〜250円くらいが分相応のような気がする。
日本における物価高、外国企業の参入等を考えると、今の円は強過ぎる。
この状態はとても正常な状態ではない。
何年か後の日本が心配でならない。
■メムノンの巨像
王家の谷に行く途中の道路沿いにある像で、一対のアメン・ヘテブV世の座像。
高さ約18m。背後に葬祭殿があったが、紀元前27年の地震で崩壊。
現在は残っていない。
ポツンと2つの巨像が並んでいるだけ。
傷みが激しい。
バスからおり記念撮影。
■王家の谷
テーベの豪族たちが谷間に岩窟墳墓を造営したのは、第18王朝(紀元前約1500年)から。
テーベ出身のトトメスT世が王家の谷に墳墓を造営。
歴代王のピラミッドが盗堀される当時の治安状態など様々な事情があった。
エジプトでは約450の墳墓が 発掘され、うち62は王家のもの。
「王家の谷」ではセティT世、ラムセスY世のものが立派。
これらの巨大墳墓からは副葬品が発見されていない。
盗堀されている。
ツタンカーメン王の墳墓は「質素だった」からこそ盗堀を免れた。
ツタンカーメン王は18歳という若さでなくなった。
王としては力も弱い。
少年王の小さな墓に、王の遺体と共に葬られていた豪華な品々を見ると、
ツタンカーメン王と同時代の他の偉大な王たちの墓には、
それが盗掘されずに残っていたならば、
どれほど多くの品々が納められていたのだろうか。
想像するだけでも気が遠くなってしまう。
しかし、エジプトで観光して見るものの多くはお墓の中を見ている訳であり、
死んだ人に対して大変失礼なことをしているような気もする。
盗堀者とあまり変わらないかも知れない。
盗堀者はお金を得るが観光者はお金を払うことが違っているか?
墳墓には、壁、天井に多くの壁画が石に刻み込んである。
綺麗に彩色されている。
彩色したものが鮮やかに残っているものもある。
当時の技術、芸術の高さに驚かされる。
「王家の谷」の近辺にはいくつかの集落が点在している。
そこに住んでいる 人々の生活は一見長閑に見える。
観光客に対し いろいろと品物を買って欲しいと寄り添ってくる人もいる。
小さい子供たちも寄り添ってくる。
学校にいっているのかな?
彼らは、墓もりをして生活をしている。
一方 悪くいえば墓ドロボウをして生活しているようにも思える。
きっと彼らのご先祖様の生活も墓ドロボウをして生きてきたのだろうとも思う。
彼らは遠い先人の残しておいてくれた墓を生活の糧として生きているようにも思える。
バスに乗り道路から見る家々は、壁にいろいろ模様。
ライオンの絵が書かれているものが多かった。
■ツタンカーメン王の墓。
他の王の墓と比べると非常に小さい。
玄室も非常に小さい。
玄室には、ツタンカーメンがミイラとなり埋葬されている。
■ハトシェプスト女王葬祭殿。
ファラオのハトシェプスト女王が、
トトメスT世と自分の為に建設した華麗な三層構造の葬祭殿。
葬祭殿正面から見る葬祭殿背後の景観は、
その断崖絶壁と紺碧の青い空とで見事。
ここは暑かった。
葬祭殿を出てバスに乗る間に露店がいっぱい並んでいた。
少し買い物をしてみれば良かった。
■貴族の墓。
王家の谷近くのクルナ村というところにある。
ナクト憤墓?を見た。
第18王朝時代から第26代王朝までの貴族の巌窟墓が集中している。
綺麗なレリーフや壁画が色鮮やかに残っている。
当時の生活を知る上でとても役立つ第一級の資料だと思う。
■ルクソールからカイロヘ。
ホテルを15:00に出発。
ルクソールの飛行場はまだできたて。
新しく改築? 飛行場内売店等は営業していない。
飛行機を待っている間、
ガイドのMさんの生活をお聞きすることができた。
ルクソール17:00発飛行機で1時間ほどでカイロに移動。
飛行場からホテルまでバスにて移動。
途中の街中の渋滞は大変なものでびっくりした。
よく事故が起きないものと思うくらい混雑している。
カイロ・マリオット・ホテルに着く。
ホテルは、
1869年、スエズ運河開通式に参列する
ヨーロッパの貴賓客の宿泊のために建てられた王宮。
暗くなって到着した。
ホテルの玄関は当時の王宮の面影を留めていると思われる装飾が施されている。
その見事さに圧倒された。
ホテルはとても大きく感じた。