94/9/26 カイロからアブ・シンベルへ 
2:00に起き自宅にtel。
手紙を書く。
モーニングコールは3:30  
出発前にホテルのレストランでコーヒーを飲む。
おいしかった。
レストランの方、3人の方と話をしたら、
中国の方、祖母が日本人の方、ギリシャの方だった。
朝というより、夜中まだ醒めやらぬ時間(4:30)に飛行場にむけホテルを出発。
ツアー工程はかなりハード。
朝食はホテルで弁当を作ってもらい、カイロの飛行場で食べる。
弁当はボリーム満点。
1/5ほどしか食べられず、もったいないと思いながらも捨てる。
ニューヨークにいったとき、レストランのボリュームも多かったが、
こちらも負けていないと思った。
日本人は小食なのだろうか?
身体の大きさからして違ってはいるが・・・。
■カイロからアブ・シンベルへ
飛行機、エジプト航空でアブ・シンベルに移動。
飛行機の中はほぼ日本の人で満席。
他のツアーの人とも何度か顔を合わせることになった。
飛行機は当初予定より40分くらい遅れて出発。
アスワン経由アブ・シンベルのはずが、
アスワンを経由せず直接アブ・シンベルに行く。
飛行機はほぼ満席。
ガイドさんによれば、乗客はみなアブ・シンベルに行くためアスワンは経由しなかったとのこと。
エジプトではこのようなことが多いらしい。
乗客が少なかったりすると、
欠航する便を作り別便でまとめて乗客を乗せることもよく行われるとのこと。
日本では考えられない? 
国民性の違いだろう。
飛行機の中から雄大な広々とした砂漠を見れると思っていたら、
空には雲がかかり、砂漠は見れず。
砂漠はいつも快晴と思っていた考えが間違っていることがわかった。

■アブ・シンベル
アブ・シンベル大神殿
  
アブ・シンベルに行って神殿等を見る。
アブ・シンベルはエジプトの南端に位置する。
スーダンとの国境まで50q弱のところにある。

■アブシンベルへからアスワンへ。
飛行機でアスワンに移動。
飛行時間で40分くらい。
空からちらちらと見えるナイル湖の大きさに感心。

■アスワン・ハイ・ダム。
ガメル・アブデル・ナセル大統領の時に、ソ連の協力を得て、1964〜1772年にかけ作られた。
ナセル湖は全長500q。 
ダムの大きさ 
長さ3,600m、 高さ111m、 年間総発電量100億kw。
福島県の田子倉ダムは、高さ145m、長さ462m。
比較するとその湖の大きさの違いに驚く。 
ダムの水深は日本の方が深い。 
ダムにより、エジプト全土の工業化の促進に寄与。 
エジプト発電の大半をになっている。 
ダム下流の増水による氾濫を防止できるようになった。
反面、巨大なナセル湖により生態系の変化が起きている。 
ナセル湖を目前に見ると何となく納得。
ダムができてからまだ日が浅い。 
エジプトにとって、
ダムが今後の「エジプト繁栄の賜物」となるかはこれからの歴史が証明する。
ダムの周辺(砂漠の中)には送電用鉄塔が多い。
日本の物とは少し形状が異なっている。



ダム下流側

■石切場。
ギザのピラミッドや各地のオベリクスなどを作る際に用いた花崗岩の石切場を見る。
切り出し途中に「ひび」が入って、そのままとなっている、
全長42mほどのオベリクスの大きさに驚く。
オベリクスは、古代エジプトの王様だけが建てることを許された記念碑。

どのように石を切ったのか。
石の下側をどのようにして切り出したのか。
どのようにして運んだのか。
不思議なことがいっぱいある。
現在技術が進歩したといっていても、このような大きな石の切り出しなど簡単にできないのではないか。
石を切る道具一つにしても、今とは比べ物にならないものしか無かったと思われる時代。
高さ30mも40mもにも達する石の塔を建てたエジプト人の知恵には脱帽。
オベリクスは継ぎ目の全く無い1枚岩でできており、大座の上に乗っているだけとのこと。
接着剤など使われていなにもかかわらず3,000年以上もまっすぐに建っている。
本当にすごい。
3,000年前も現在も基本的に技術は発達していないのでは。
映画「十戒」では、オベリクスを立てるシーンがあった。
映画では、勢いよく立ち上がっていた。

見学を終わりバスに乗る際、変な楽器を3ポンドで買う。
バスの入り口近くで売っている。
少年(多分15才位)から買う。
何で出来ているのかわからないが部屋に置くと結構匂いが強い。
多分木の匂いだと思うのだが・・・。  
■アスワン・オベロイホテル  
アスワン・オベロイホテルというところに泊まる。

ホテルについたら、こちらでは記録的に珍しいと思われる雨。
現地の人には恵みの雨のようで、
街の人々は何だか嬉しそうにしているようにバスの中からは見えた。
でも現地の人の家は、泥レンガを固めて作ったものに住んでいる。 
雨が降ると家が溶けてしまう。
日本の天気もおかしいが、こちらもかなり変になっているようだ。
ホテル近くの温度は30℃以下と思われ日本の秋みたいに感じる。
でも、一昨日は50℃を超えた?とのこと。
ホテルは島にある。
ナイル河の中州。
街中で買物をするには、船で対岸に渡っていくことが必要。

■買い物。
雨が降ったため午後は、4時間程、自由行動になる。
一人でホテル前の船付場から船に乗り、向かいの街で買物をする。
雨は上がっていた。
アクセサリー、香辛料、服などを売っている。
現地の人は人なつこく片言の日本語、英語で話しかけてくる。
15歳の少年 モハメド君が案内、 頼んでもないのに勝手に案内する。
いろいろ自分の兄弟、本当かどうかはわからないがやっている店を紹介してくれる。
すべての物に定価は付いてない。
金額は、話合いにより決定される。
どうも、こちらの人の作戦にはまってしまう。
交渉はエジプトポンド(LE)かドルでおこなう。
日本円でも売ってくれる。
エジプトポンドよりドルか円が喜ばれる。
円の方が喜ばれるような気がする。
ポンドとドルでやると頭が少し混乱してくる。
お金の交渉は、向こうが、例えば50ポンドといえば、こちらは10ポンドでどうかといった具合。
結果的には真ん中くらいまでは行かず、現地の人の言った金額の2/3。
旨くいって半分くらいだった。
自分で買おうとする商品の価値がわからないものが多い。
特別に欲しいわけでなく何んとなく旅の想い出に買って見ようといった感じがまずいのか? 
なんとなく損をしたような気分にもなる。
ホテル内の買物も同様で、交渉によりお金が決まる。
ホテルで売っているものの方が何んとなく高い感じ。
ホテルには、スリッパ、ハミガキ(ハブラシ)、髭剃りは部屋には準備されていない。
水道の水は、下痢の防止上飲まない。
3ポンドくらいで1.5リットルのペットボトルを買う。
旅行中どこでも同様。
ホテルの部屋は大変きれい。
きっと現地の人にはなかなか泊まることができない立派なホテルなのだろう。
円の外国における強さを強く感じる。
こちらの言葉は大変流暢で聞いていて楽しくなる。
治安は大変良いそうで、ガイドさんは世界一ではないか?とのこと。
一人で街の中を歩いても大丈夫。
何んとなく素直にうなずける。
団体で行動するのも楽しいが、一人で現地の人の中に入って話をしたり、買物をすることは大変楽しい。 
■ナイル河遊び。
夕刻、ファルーカという帆船で、ナイル河の上に浮かぶ。
心地良い風に吹かれ非常に気持ちが良かった。
ガイドのMさんは「この天候は冬、寒くてしょうがない」と船の上でいわれてた。
Mさんは次の日から風邪をひかれる。
添乗員のSさんはその風邪をもらってしまう? 
お二人にとっては苦悩の日々のはじまりとなってしまった。 
大変ご苦労をおかけしました。
ファルーカには、操作される現地の方2人とツアーで一緒の人全員で乗る。
日の暮れかかるナイル河の何ともいえない景色を見る。
現地の方の歌が、なかなか雰囲気に合い良かった。
普段は太鼓を用いて歌うそうだが、雨で太鼓がこわれてしまったとのこと。 
太鼓なしの歌となった。

やはり雨は、太鼓を壊すほど、珍しかったのだ。
雨が降るのは10年に1度くらいとの話もあった・・・? 
雨が降ってきたときバスのワイパーも効かなかった。
運転手さん曰く「ワイパーなど使ったことがない・・・?」
かなり使いこなされた帆船の帆に、破れたところを直した跡。
鮮やかに目立つ布切れで縫ってある。
印象に残る。
ホテルは島にあり、島も大きいとは思えなかったので、島の周りを一周して見たかった。
行けなくなっていて残念だった。

ホテルにて  ホテルの部屋から対岸にある遺跡、多分神殿、が見えた。

時間があってゆっくり何泊かしたらきっと良いところだろうと思った。
ホテルでナイル河を目前に、読んだ
王陽明の詩が心にとまる。
夜座  
一人秋庭に座して月色新たなり 
乾坤何処にか更に間人ある  
高歌度って清風と与に去り
幽意自ら随ふ流水の春に  
千聖もと心外の訣なし 
六経須く胸中の塵を払ふべし  
却って憐む擾々周公の夢 
未だ及ばず惺々陋巷の貧に