07甲賀町口郭門跡。 福島県会津若松市栄町。





郭門の石垣は、江戸時代に築かれた。
会津若松市栄町にある。
郭外より若松城の郭内に入る門の石垣。
門の内側を侍の屋敷、外側を町民の住居としていた。
郭内と郭外の間には土塁が築かれ、外濠があった。
城下にこのような門が16ケ所あった。
甲賀町口は大手門として
他の郭門より厳重な構えだった。
現存する唯一のもの。
東西8m、南北19m、高さ5m。
打込みはぎの手法で築かれている。
南面に「蒲生源左衛門尉与力」とある。
戊辰戦争の激戦地。

1933年。
甲賀町口郭門跡・天寧寺町土塁・三の丸堀跡が
国指定史跡若松城跡として追加指定を受けた。
若松城跡は1934年に、国指定史跡に指定。
城郭の石垣の古いものは、
大割りした石をそのまま積み、
石の大きさはふぞろいで
すき間が大きくこう配も緩い。
これを野面(のづら)という。
城郭の大規模化とともに,
城壁の出隅のように構造・防御上の弱点となる部分より
精密加工した石材が用いられた。
石垣のこう配の形状も,
野面の時期には直線であった。
高さが高くなるにつれ、
重量を垂直方向から水平方向へと伝えるため、
弓状のたるみを持たせた。
上部は防御のために垂直に近くした。
江戸時代初期。
正面から見て石材相互の間に
ほとんどすき間のない石垣が作られた。
すき間のない石垣の工法を切込みはぎという。
すき間のあるものを打込みはぎという。