00/10/1 10/6/6 茨城県石岡市府中 常陸国分寺跡 真言宗。  
中門跡

金堂跡

講堂跡

伽藍の東側に「ガラミドウ」というところがある。
7重の塔があった。
現在は真義真言宗。浄瑠璃山国分寺・・・となっている。
山門

本堂



弘法大師像





薬師如来堂



都都一坊扇歌堂









■国分寺跡。 
1921年.国指定文化財史跡指定。
1952年.特別史跡 
宗派。現在は新義真言宗。
本尊。薬師如来 
寺料。稲束6万束、定住僧30名、封戸50戸、寺域60町歩。
規模。南北231m,東西273m。
中門から金堂に回廊付。
金堂・講堂・経蔵・鐘楼・七重塔があった。
■歴史。
741年。聖武天皇の勅願。
鎮災致福を祈願して諸国に国分寺創設の詔。
全国66ヶ所の一つとして設立された。
1426年。大掾氏が国府跡へ府中城を築く。
1586年;佐竹氏と大掾氏との戦いで兵火を蒙る。 
1602年.東照宮直判の寺領30石、
1693年.本堂再建。
1822年.天災により焼失。末寺千寺院を移し本堂とした。
1908年.楼門・仁王門は、大火で焼失。
1910年.大火で焼失。
筑波四面薬師の一つ、山中薬師を移す。
大正中期。千手院を廃して国分寺に合併。
客殿・庫裏を建立する。
1981年; 石岡市の創建時伽藍確認調査。
国分寺・国分尼寺 
写真は伽藍復元模型

■国分寺と国分尼寺。
僧寺を「金光明四天王護国之寺」。国分寺。
尼寺を「法華滅罪之寺」。国分尼寺。
寺院には、20人の僧と10人の尼が常住。
仏教の中心的な存在として鎮護国家を祈念。
国分寺・尼寺は、奈良・平安時代を通じて整備された。
律令制度の崩壊する10〜11世紀に、存在意義を失って衰退。