00/8/13 福島県会津若松市栄町 興徳寺 臨済宗。
1283年に創建。
郭内にあった唯一の寺。 
蒲生氏郷公墳墓の地。
戊辰の兵火にあう。
葵の紋が門の扉にある。 
秀吉が奥羽仕置のとき庁舎とした寺。



辞世の歌  
花のあわれに人のあわれをかさねよんだ。 
限りあれば 吹かねど花は
散るものを 心みじかき春の山風




遺髪を納めた五輪の塔。 
五輪塔に空・風・火・水・地とある。
万物の構成要素 
宇宙の元素を表現。



氏郷38歳の時作ったといわれる漢詩の碑  
壮図豈敢附悠悠  
慷慨酒酣撃玉甌 
一夜城桜無限感  
月明五十四郡秋  

壮図豈敢て悠悠に附せんや 
慷慨酒酣(たけな)わにして玉甌(ぎょくおう)を撃つ  
一夜の城桜 無限の感 
月明らかなり五十四郡の秋  
会津九十二万石領主 蒲生氏郷作  
氏郷の胸に渦巻く壮図の思いとは、
織田信長の後継として天下取りの思いか。
月明下の城楼に酌み交わす盃を思わず投げて憤り欺いたとて、
この辺境に配されてはもはやいかんとも成しがい。
無限無念の感が湧くのみである・・・。

蒲生氏郷(1556〜1595) 
江州(滋賀県)日野城主蒲生賢秀の子。 
織田信長に仕えその婿となる。
1590年秀吉は 
戦国武将の蒲生氏郷を奥羽の押さえとして会津に封じる。
氏郷は黒川を
郷里(滋賀県日野市)の森の名にちなみ「若松」と名づける。
氏郷は、近江商人の町の伝統を移し 
城下町若松を商売繁昌のまちとした。
鶴ケ城や城下町を整備、漆器産業を植えつけた。
七層の天守鶴ケ城をつくる。
1595年40才で亡くなる。