00/8/9  東海村船場 東海村公民館   街角彫刻めぐり。   
さわやかな風に誘われて散策する街角。
くつろぐ時を過ごす公園。
楽しさがはずむコミュニティセンター。
東海村のいろんなところに、
心なごませるアート作品が、
数多く設置されている。
彫刻や絵画には
心豊かな空間をつくりだしている。
「この村大好き郷土再発見講座-街角彫刻めぐり」で
彫刻のはなしを聞く。。
■主催者挨拶。
東海村ではJCO事故で沈みがち。
公民館では、村を元気づけようと考えている。
村を元気づける為に
「この村大好き郷土再発見講座-街角彫刻めぐり」を
企画した。
村を好きになることが大事。
東海村で実施している彫刻展は、
茨城近代美術館館長の
加藤貞雄先生に審査してもらった。
■加藤先生の話。 
東海村は、木内克大賞彫刻展を3回実施した。
わたしは、1995年に茨城近代美術館にきた。
木内克大賞彫刻展で2回審査を担当。
彫刻コンクールは、結構行われている。
神戸市、宇部市等市、県レベルのものがある。
村で全国的なレベルのものを実施しているところ。
東海村以外ないと思います。
これは、誇って良いことだと思う。
木内克生誕100年を記念して実施。
レベルの高いコンクール。
具象的作品が多い。
人体を写実的に扱っている作品はない。

東海村のコンクール。
作家も意欲的な姿勢を持っている。
宇部市・神戸市・箱根彫刻の森・
現代具象彫刻展・長野市で彫刻のコンクールがある。
どうして彫刻コンクールがあるのか。
宇部市は、5回審査した。
実力のある招待10人と公募10人で行っている。
宇部市は市議会議員も熱心。
作品は、宇部市内に多く設置されている。
長くやっていると街の中が彫刻だけになる。
宇部市の人口は、11万人。
宇部市は、炭坑の街。
気の荒い人もおられ
風紀は必ずしも良くなく荒れていた。
風紀を少しでも良くしようと
花壇の整理を婦人が実施。
緑化推進委員会が彫刻を街に置くことを提案した。
炭坑の街。
コークスを船で運んでいた。
コークスを運んだ船の帰りに
彫刻を積んで帰ってくることもあった。
精神障害者に彫刻の設置を手伝いしてもらっている。
宇部市コンクールは、
力のある彫刻家にチャレンジする場所を与える。
街の景観に寄与している。
コンクールを始めた当時。
公立の美術館はほとんどなし。
公立の美術館も増えだ。
コンクールの賞を与え、それを買い取ることをした。
当時大賞金額が少なく、大賞をとっても、
作家には金の持ち出しになっていた。
作家の負担が大きかった。
現在は買い取ることは彫刻が大きく かさばるため
設置の問題がある。
美術館でも実物を引き取る場所が無い。
作品の嫁入り先がないわけです。
彫刻には、不都合な時代になっている。
作品が、街の景観に会わない場合もある。
何十回も続けているとそのような事態になる。
むかしは、井戸端会議があり、神社があり、
地蔵さんがあり
そのような場所が話し合いの場となっていた。
最近は少なくなった。
そのような場所に彫刻を置いたらどうか。
東海村アートロード展は
村民から「街角を飾ろう」と話があり
実施されていると聞いている。
木内克大賞彫刻展。
村で全国公募のコンクールとなった理由。
木内克という名前を使っていること。
大賞金額の額が良い。
金額を弾んだことが良い。
日本の中堅以上の人が作品を出品している。
■木内克について。
木内克の経歴。

木内さんは京都の教会に
マリアさまとこどものキリストの母子像を作っている。
わたしは、ある日、木内さんから
「作品が出来たから見にきませんか」といわれ、
木内さんのアトリエに見にいった。
粘土の原型ができていた。
ブロンズは職人さんがやるから
「粘土の原型が出来、私の仕事は終わりだ」
といってられました。
日展などでは、
石膏にブロンズの色をつけているものも有ります。
2mくらいの母子像でした。
脚立を使って造られていました。
当時、70才を超えられており脚立の上り下りが大変のようでした。
笠松運動公園のモニュメントは、
依頼主のほうで電動リフトをアトリエのほうに提供。
大変喜んでいた。
木内さんは、
「書にたとえれば、ロウ形の彫刻は、草書体。
テラコッタできちっとやることも大事、
テラコッタは書で言えば楷書体」といっていた。
木内さんは、名前の割に無冠。
国家的な賞から縁が遠かった。
木内さんは賞を貰いにいかなかった。
賞欲しさに頭を下げることをしなかった。
「頭を下げて芸術が良くなるのであれば頭を下げるが、
頭を下げることで芸術は良くならない」
と言っていた。
作品の多くは裸婦。
長い間モデルを務めた松平須美子さんという人がいた。
木内さんは、この人がいないと仕事にならなかった。
制作のときモデルを見ないで造っている。
この人がいないと作れなかった。
物を見てそれを写すのではない。
安心料として必要だったのだと思う。
松平須美子さんはプロのモデルではない。
木内さんの作品に惚れてモデルを志願してきた人。
横山大観・中村彝・木内克は茨城の三大作家。
木内さんは、奥さんと一緒にフランスに渡り、テラコッタの勉強をした。
彫刻は、絵画と比べると割をだいぶ食っていると思う。
彫刻だけで食べて行ける人はいない。
大会社の社長室に絵画は飾ってある。
彫刻は陰に隠れている。
木内さんは
「彫刻は売るための作品をやらなくて済んで
立派な作品を作ることができた」いっていた。
平櫛田中さんは、岡倉天心に指導を受けたことがある。
岡倉天心も
「売れるものを作ってはいけない」と平櫛さんに教えた。
売る、売れないにこだわらず
芸術に没頭し良い作品をつくれる。
■東海村村内の作品。  
木内克大賞彫刻展は第2回から作品を見た。
一次審査は写真で選ぶ。
その後模型を作って作品を選んで作ってもらう。
石、金属、土、ポリエステル。形態も抽象、半具象といろいろ。
真っ正直な写実はない。
現代美術は多様性に富む。
一次審査後の作品の制作期間は、
第1回と第3回は5ケ月。
第2回は、11ケ月。
作家の人には喜ばれた。
第2回のときはふたりで審査。
ひとりで7票づつ持つ。
ふたりとも良かったというものが5点。
第3回は4人で審査。
終始一貫して4人で歩き、
ある程度意見をまとめ再度みる。
話し合いで意見が上手くまとまりました。
審査をして印象に残った作品。
■1「旅人(夏)」真鍮 
池田宗弘(東京都) 
設置場所/ふれあいの森公園  
第2回木内克大賞野外彫刻展大賞 
池田さんは1939年生まれ。
毎回注目される作品を出品。
宇部市でも賞を受賞。
ドンキホーテをテーマと下作品を一貫して作っている。
小さい金属片をくっつけて形づくりの手法で作られている。
人物に物語を感じる作品。
  
■2「詩人-詩想の時」コールテン鋼 
綿引道郎(東京都) 
設置場所/ふれあいの森公園  
第2回木内克大賞野外彫刻展茨城新聞社賞 
コールテン鋼は鉄の板を焼いて作っていく。
綿引さんは、1942年生まれ 
詩人をモチーフにしてやってきている人。
ボリューム感よりはすっきりとした感じ。
木が高く大きな空間を作品から感じる。
  
■3「残像U」セラミックス 
竹屋 修(福岡県) 
設置場所/阿漕ケ浦公園  
第2回木内克大賞野外彫刻展茨城近代美術館賞 
大きなものは幾つかに分けて焼いて作り
後で一緒にする。

■4「緑の風」ブロンズ 
濱野邦昭(山口県) 
設置場所/舟石川コミュニティセンター  
第2回木内克大賞東海村芸術振興賞 
茫洋とした膨らみがある。
極端にデェフォルトした人体が印象的。
  
■5「人というもの」石 
鈴木典生(茨城県) 
設置場所/白方コミュニティセンター  
第3回木内克大賞野外彫刻展大賞 
石のボリュームと存在感 
石の丸彫りで大きな石から削り取って作ったもの。

■6「雲のかかる街」ブロンズ 
土井宏二(神奈川県) 
設置場所/舟石川コミュニティセンター  
第3回木内克大賞野外彫刻展茨城新聞社賞

■7「舟を造る人々」リバーテン鋼  
青野 正(徳島県) 
設置場所/阿漕ケ浦公園  
第3回木内克大賞野外彫刻展茨城近代美術館賞

■8「Flower」石 
高岡典男(東京都) 
設置場所/舟石川コミュニティセンター  
第3回木内克大賞東海村芸術振興賞

東海村の木内克大賞では、
一度賞をとった作家が再度チャレンジ。
彫刻では認められている。
JCO事故では色々イメージダウン。
東海村は日本の彫刻会にとって大きな場を提供。
東海村は誇りに思ってよい。
以上で終了・・・拍手
■9「夏の夜空」ブロンズ 
嶋崎達哉(岐阜県) 
設置場所/新庁舎  
第1回木内克大賞野外彫刻展大賞

■10 時のモニュメント  
設置場所/ふれあいの森公園

■11「行列」ブロンズコールテン鋼 
三木俊治(東京都) 
設置場所/ふれあいの森公園  
ふれあいロード彫刻展大賞

■12「トロイメライ」ブロンズ  
梅原正夫(千葉県) 
設置場所/ふれあいの森公園

■13「文月の女」ブロンズ 
山崎 猛(茨城県) 
設置場所/図書館

■14「WIND-風、方向、呼吸」ブロンズ 
津野充聡(兵庫県) 
設置場所/ふれあいの森公園  
ふれあいロード彫刻展ふれあい彫刻賞

■15「初恋」ブロンズ 
田辺宏子(茨城県) 
設置場所/図書館

■16「ふれあい」ブロンズ 
山崎 猛(茨城県) 
設置場所/文化センター  
東海村発足30周年記念

■17「エーゲ海に捧ぐ」ブロンズ
木内 克(茨城県)
設置場所/東海駅  
東海村発足40周年記念
  
■18「なかよし」ブロンズ 
山崎 猛(茨城県) 
設置場所/東海駅  
東海橋上駅オープン記念

■19「鳥の城(A)」ブロンズ 
山崎 猛(茨城県) 
設置場所/山崎家前

■20「あけぼの」ブロンズ 
山崎 猛(茨城県) 
設置場所/常陽銀行二軒茶屋店出張所前

■21壁画「東海村海浜風景」
森 惣介(東京都)
設置場所/東海駅

■22「きょうだい」ブロンズ
小鹿尚久(茨城県)
設置場所/河野酒店前

■23「風船と少女」石
高嶋文彦(東京都)
設置場所/河野酒店前

■24「羽化〜誕生」ブロンズ
有賀敬子(東京都)
設置場所/日本原子力発電(株)

■25「楕円(とぎれた会話)」御影石
萩野弘一(新潟県)
設置場所/白方公園  
第1回木内克大賞展茨城近代美術館賞

■26「火を守る女神-神戸からの祈り-」ブロンズ・石 
津野充聡(兵庫県) 
設置場所/須和間霊園  
第1回木内克大賞展茨城近代美術館賞

■27「なかよし」ブロンズ 
山崎 猛(茨城県) 
設置場所/照沼小学校

■28「まどろむ」ブロンズ
山崎 岬(東京都)
設置場所/阿漕ケ浦公園

■29「天を乞う者」鉄 
戸谷信也(愛知県)
設置場所/阿漕ケ浦公園  
第1回木内克大賞東海村芸術振興賞

■30「希望の像」ブロンズ 
山崎 猛(茨城県) 
設置場所/石神小学校

■31「希望」ブロンズ 
設置場所/東海中学校

■32「飛翔」ブロンズ  山
崎 猛(茨城県)
設置場所/東海高等学校

■33「山」ブロンズ 
蒲 浩明(台湾) 
設置場所/中丸コミュニティセンター  
第1回木内克大賞野外彫刻展入賞

■34「エネルギー・太陽からも」ソーラーモニュメント 
伊藤隆道(東京都)設置場所/新庁舎

■35「空間のメヴィウス」黒御影石 
牛尾啓三(兵庫県)
設置場所/ふれあいの森公園  
ふれあいロード彫刻展特別賞

■36「電車ごっこ」御影石
萩野弘一(新潟県)
設置場所/文化センター

■37「風の家族」アルミ合金
松本光司(愛知県)
設置場所/文化センター

■38「はらから」ブロンズ 
山崎 猛(茨城県)
設置場所/河野酒店前

■39「円盤上の人物」ブロンズ 
倉澤 実(栃木県)
設置場所/村松コミュニティセンター  
第1回木内克大賞野外彫刻展茨城新聞社賞

■設置場所/常陽銀行二軒茶屋店出張所前


■木内克の経歴   ■木内克きうちよし。1892〜1977。   
1892年 茨城県水戸市に生まれる。  
木内の生家は代々医を業とする。
絵を描くことが好きだった。
茨城県立水戸中学校に進む。
20歳の時退学。
彫刻家の道に入る。
1914年.朝倉文夫の彫塑塾入門。
1916年.第10回文展に初入選
その後、同展に毎年入選を続ける。
1921年 渡英。
ロンドンからパリに渡る。 
パリの研究所に学ぶ。
滞欧中、古代ギリシャのテラコッタの
小型彫像「タナグラ人形」をみる。
テラコッタの持つおおらかで暖かな魅力にとりつかれる。
テラコッタの技法に習熟。
作品に活かす。
昭和10年頃とヨーロッパは戦争。
帰国。
帰国後はアトリエを上野に構える。
二科展を拠点に作品を発表。
戦時中は沈黙。
昭和23年。第2回新樹会で
滞欧中に制作したテラコッタの作品を出品。
その魅力を紹介。
第3回の新樹会。
松平須美子をモデルとした
エネルギッシュな作品を発表。
創作活動を本格的に再開。
その力強く新鮮な表現。
戦後の若い作家たちに強い衝撃を与えた。

■木内克と松平須美子   
木内克が後半生の約30年。
モデルは松平須美子。
須美子の父信博は音楽家。
1940年から木内は下谷区上野桜木町の松平信博宅の隣組に居住。
1948年。須美子が初めて木内のモデルをした。
木内56歳、須美子22歳の時。
須美子いわく。
私は芸術が好き。
自分で創作できない。
先生のモデルとして役立ちたい。
以後、専属モデルとして木内のアトリエに通う。
木内は、須美子をモデルを使い続けた。
木内はモデルに自らポーズをつけることはしなかった。
須美子木内の制作の精神を知っていた。
須美子の気迫を受け木内がそれと格闘し制作が進行した。
「美術モデル研究室」ホームページより。