00/5/9  09/9/25  常陸太田市瑞龍町  瑞龍山。       
水戸徳川家の墓所。
1661年、初代頼房を葬って以来、儒礼により埋葬。
2009年は、調査の為閉ざされている。
入口門  左は番所



宝物庫





光圀の自叙伝ともいうべき梅里先生の碑は、
生前に建てられた。
墓所前にある。
墓域内は、約80基。
明の遺臣で、1665年水戸藩に招かれ光圀の師 朱舜水の墓もある。  
■梅里先生 碑文  
先生は常州水戸の産なり。
其の仲は夭、先生夙夜膝下に陪し、戦々競々。
その人となりや物に滞せず、事に著せず。
神儒を尊びて神儒を駁し。
仏老を崇めて仏老を排す。 
常に賓客を喜び殆んど門に市す。
暇有るごとに書を読む。
必ずしも解することを求めず。
歓びて歓びをよろこびとせず。
憂えて憂を憂とせず。 
月の夕べ花のあした、
酒をくみ意に適すれば詩を吟し
情をほしいまいこす。
声色飲食その美を好まず。 
第宅器物その奇を要せず。
有はすなわち有に随って楽胥。
無はすなわち無に任せて晏如たり。
はやくより史を編むに志あり。 
しかれども書の徴とすべき罕なり。
爰に捜り爰に購い、これを求めこれを得。
微リンするに稗官小説を以てし、
実を拠い、
疑を闘き、
皇統を正潤し人臣を是非し、
一家の言を輯め成す。 
元禄庚午の冬、累に骸骨を乞うて致仕す。
初め兄の子を養うて嗣となし、
遂に之を立て以て封を襲がしむ。
先生の宿志ここに於てか足る。 
既にして郷にかえり、
即日放を瑞竜山先壁の側に相し
歴任の衣冠魚帯を痙め載ち封じ、
載ち碑し、
自ら題して梅里先生の墓という。
先生の霊永くここに在り。 
ああ骨肉は天命終るところの処に任す。
水には則ち魚篇に施こし、
山には則ち禽獣に飽かしめん。
何んぞ劉伶の鱒を用いんや。
其の銘にいわく。 
月は瑞竜の雲に隠ると雖も光は暫らく西山の峰に留まらん。
碑を建て銘を勒する者は誰 源の光圀,字は子竜 
 「茨城県の歴史散歩」 茨城県歴史散歩研究会編より   

■水戸光圀の漢詩  
題瑞竜  
瑞竜山上拝塚壙 
遐想往事乍惆悵 
幾度顧視去遅遅 
秋風和涙濺橋仰  

瑞竜に題す 
瑞竜山上に塚壙(ちょうこう)を拝す 
遐(はる)かに往事を想いて乍ち惆悵(ちゅうちょう)  
幾度(いくたび)か顧視(こし)して去ること遅々 
秋風は涙に和して橋を仰ぐに濺(そそ)ぐ  
瑞竜山上の墓に詣でる。
往事を思い出してたちまち悲しみがこみあげる。  
何度も振り返って、帰路がはかどらない。  
亡き父を慕い仰ぐ心に、秋風が涙とともにしみる。
「水戸光圀の漢詩を尋ねて」大林林造著より