「失政により国土は焼け野原」
大久保牧夫 67歳 水戸市在住。
1935年生まれの私は、
1944年1月頃(9才、小2)、
東京から鹿児島県の
母の実家に疎開した。
1945年春頃から
グラマン戦闘機による
機銃掃射が日常的になった。
鹿児島県吹上げの浜は
米軍の上陸候補地とのことで、
母と兄弟3人
福島県の縁故に逃げることになった。
物凄い混雑列車の旅、
1945年7月に
門司駅で夜間爆撃に遭い、
燃える都市、
渦巻く群衆を目の辺りにした。
当時の印象を絵にした。
今でも夏祭りの
スターマイン花火と群集を見ると思い出す。