「二ューギニア島における空襲体験」
鈴木精 81歳 水戸市在住。
昭和19年10月
二ューギニア島
サルミ地区オライ河畔や
八紘山(日本軍が命名した小高い丘の名称)の
海岸付近に展開していた我が軍に対して、
米軍のロッキードによる爆撃、
それに加えて艦砲射撃が
朝から晩まで数日続けられた。
我々は
八紘山に壕を掘り
米軍の海兵隊の上陸阻止する作戦を行った。
この戦闘で
日本軍は多数の犠牲者を出し
同時に食糧倉庫を全部焼失、
明日からの食料を失い、
現地調達するほかなくなった。
その後米軍は
海兵隊を河畔に上陸、
平坦地に鉄板を敷き
仮設の滑走場を造り、
その側に軍の拠点をつくった。
そのため我々は
海岸から離れた
ジャングルに逃避することを余儀なくされ、
この生活は終戦まで続いた。
絵画の手前の丘は八紘山である。