「東京大空襲」(昭和20年3月10日)   
高中陽一 64歳 ひたちなか市在住。

当時、
祖母・両親・弟の五人家族で
江東区深川に住み、
家のすぐ前が隅田川であった。
私の小学校入学目前の
3月10日零時15分空襲警報発令、
それから約2時間半にわたり、
6トン以上の焼夷弾を搭載した
B29の大編隊により
波状絨毯爆撃が行われた。
B29の先発部隊が
江東区・墨田区・台東区にまたがる40km周囲に
ナパーム製高性能焼夷弾を投下して
火の壁を作り、
住民を猛火の中に閉じ込めて
退路を断った。
折から30mの強風が吹き荒れて
火勢を一層激しいものにし、
火の玉のような火の粉が舞い上がり、
強風に倦かれた炎が
川面を舐めるように駆け抜け、
次第に追ってくる火の壁の中を
逃げまわった。
・・・背負った赤ん坊が燃えている。
親は路上に赤ん坊を降ろし、
手を合わせながら立ち去った。
・・・あの時の地獄の光景は、
戦後57年経た今も
残る火傷の痕を見るたび、
脳裏から消えることはない。