「昭和20年、豊橋市」
岩間愛子 75歳 水戸市在住。
確か昭和20年6月中旬のころであったと思う。
豊川海軍工廠に兵器を作る材料がなくなり、
来る日も来る日も旋盤磨きをしていたある日、
愛知県渥美半島の田原町に
農業支援隊として出向くこととなり、
1週間の予定で電車に揺られ目的地に着き、
それぞれの農家に泊まり込みで農業を手伝った。
帰る当日、
乗ってきた電車の
始発駅である豊橋市が空襲で全焼し、
20kmを越える道程を歩くこととなり、
漸くたどり着いた豊橋市は
見るも無残な焼け野原であった。