「みんな無言」  
鈴木かをる 70歳 水戸市在住。

昭和20年7月7日、
千葉市新宿町で焼け出された。
父の戦病死から僅か5ヶ月であった。
母と姉弟3人、
私は12歳だった。
当時どの家にも庭に防空壕があり、
空襲警報のサイレンが鳴ると家族みんなで入り、
ひたすら解除になるのを祈った。
その夜は在郷軍人が巡回してきて
「此処にいては焼け死ぬぞ。早く海に逃げろ」
と怒鳴られ、
慌てる私達に
防空頭巾を防火用水の水に浸し、
一人一人に被せてくれ
「早く行け」と背中を押す。
後ろから横から迫る火の手が恐ろしくて
手をつなぎ必死で駆けた。
その夜、千葉市の3分の2が焼け、
多くの方が亡くなったと聞く。
私にとって七夕の宵は
生命を救ってくれた、
あの在郷軍人への思いを深くする日でもある。