「グラマン来襲」鉾田町近郊、終戦間近  
飯島新吾 71歳 水戸市在住。

私は終戦時、旧制中学2年生。
水戸から25キロ程離れた
農村地帯に住んでいた。
殆ど、授業はなく
弁当だけを持って
兵隊の陣地構築や
飛行場の隠待壕作りの手伝いを
させられていた。
終戦の半年前の頃から、
アメリカ軍の艦載機が頻繁に飛来して
百里基地や鉾田飛行場を爆撃していた。
登校途中、
上空に10数機の機影、
味方機と思っていたら、
間もなく日の丸鮮やかな零戦が2機、
忽ち空中戦となり、
あっと言う間に煙を吐いて、
まっ逆さま。
あの時の悲惨な光景は今も鮮明に残っている。