「1945年(昭和20年)、茨城県西部」
増淵和行 72才 水戸市在住。
アメリカ軍のB29爆撃機は
グラマン戦闘機に護衛されながら、
栃木県、群馬県などの軍事工場を
爆撃したものと思われた。
我々は、その頃、
勤労動員されて
軍用機の尾翼などを作っていた。
そして、空襲警報と同時に待避壕に入り、
敵機の去るのを見守っていた。
我々は、戦争に負けるのではないかと
不安の日々を送っていたのである。
しかし、いずれ奇跡が起きて
逆転勝利するかもしれない
などとも考えるのであった。
何とも幼稚だったのである。