「忘れ得ぬ想い出」〜戦時下の追憶  
大場さと 91歳  水戸市在住。

昭和16年12月8日、
大東亜戦は布告されました。
当時私達は親子3人大阪市に在住しておりました。
主人が府立の今宮工業学校の教師として勤務しておりました。
日毎に戦時色は増強、出征兵、徴用、学徒出陣、
家庭内の金属類は皆供出、生活物資は切符制と配給です。
そして家族の人員割です。
主人の通常服は軍服色の詰襟に戦闘帽、
足にゲートルを巻きの姿での勤務です。
戦時色も日毎に濃く、
やがて学徒出陣、
男子校も女子校も皆奉公軍需工場で働きました。
銃後の守りは帝人力での合い言葉で
防空頭巾にモンペ姿で憲兵による防災訓練、
バケツリレーの消火訓練、
救護訓練等いつも夜間に広場で実施されました。
また配給の玄米を一升ビンに入れて棒で搗きました。
タト米等の配給には馴れませんでした。
ほしがりません勝つまではと、耐え偲びました。