若松城(鶴ケ城)
鶴ケ城  南北朝  葦名氏により黒川城築かれる
1592年 蒲生氏郷が7層の天守閣を建て
外郭を築き黒川の地を若松と改め城の名を鶴ケ城とする。
1639年 加藤明成が天守閣を5層とし、北出丸、西出丸を増築。
(説明案内板より)

二の丸と廊下橋 
三の丸から二の丸へ入る
東門

二の丸と東門

二の丸の井戸

二の丸か帯郭に掛かる廊下橋

廊下橋からみる内堀  
帯郭に向かって右側

廊下橋からみる内堀  帯郭に向かって左側

廊下橋と廊下橋門

帯郭 
廊下橋門

帯郭

帯郭より見上げる天守閣

帯郭

武者走り
城内への大手門となる太鼓門の渡り櫓や、
帯郭の石垣の上への昇降ができるよう、
左右に分かれた石段。(説明案内板より)

鐘撞堂(かねつきどう)
時守が昼夜時刻を城下に報じた。
鐘は1747年作。
戊辰の役には、
開城まで時を報じ味方の士気を鼓舞した。
(説明案内板より)

蔵跡と水路跡
露出している石の列は、
二棟の蔵の基礎石と水路の跡。
(説明案内板より)

帯郭の井戸

太鼓門
北出丸から本丸に通じる大手門。
胴の径1.8mの大太鼓があった。
藩主の登城や非常事態等の合図に使用。
(説明案内板より)

帯郭から裏門を通り本丸に入る
裏門 本丸埋門うずみもん  
本丸に通じる枡形の城門 低い門構え
1639年の改築前は表門。
蒲生時代の表門 
改築後は裏門となり、
本丸奥御殿の勝手口となった。
(説明案内板より)

天守閣

元旦の天守閣

干飯櫓と走長屋と天守閣と本丸御殿跡

対面所跡

御三階の石垣
楼閣状の建物  
密議を行う場所として使用。 
現在、七日町の阿弥陀寺に移築。 
石垣は再移築。(説明案内板より)

藩主御居間の庭跡

藩主御居間の庭跡前の井戸

茶室麟閣
千利休の次男少庵が
蒲生氏郷のため建てられたといわれる。
(説明案内板より)

荒城の月碑

茶壷櫓から見る天守閣

茶壷櫓
櫓には茶器が収められていた。 
武器の収容をも目的とした二重の塗込櫓。
(説明案内板より)

茶壷櫓から廊下橋を見る
石垣は高さ20m。 
扇勾配で「忍者落し」ともいわれる。 
(説明案内板より)

茶壷櫓から廊下橋側の土手を見る

本丸
廊下橋門

廊下橋門跡方から茶壷櫓方向の内堀

月見櫓の跡
二重の塗込櫓で武器が収められた。
月見の場所。
城下南方の湯川や天神橋方面の搦手の櫓。
(説明案内板より)

月見櫓から干飯櫓方向の内堀

月見櫓から干飯櫓方向の土手

干飯櫓

表門から見た干飯櫓と走長屋

本丸
表門(鉄門くろがねもん)
帯郭から本丸内の奥御殿に通じる表門、
北向きの多聞櫓城門。
(説明案内板より)

干飯櫓から見た表門

本丸御殿跡

走長屋と天守閣

馬洗石 馬の口洗いのための石

北出丸
1639年に造られた。
本丸を守る重要な出丸。
(説明案内板より)

椿坂 太鼓門から見た北出丸

北出丸からみる太鼓門と椿坂

椿坂より見る内堀 日新館のあった方向

武徳殿の近く

追手門

追手門

追手門近くの内堀

マップ (パンフレットより)