21/2/12 真宗の信心とは?
■東井義雄師の話から
口の奥にあるのどちんこの働きを知った。
食べ物を食べるときに働いている。
のどの奥で気管と食道への道がわかれる。
食べ物が気管の方にいかないように、
のどちんこは気管の入り口にフタをする。
私が生まれた時からずっと働いてくれている。
自分のからだを知っているようで実は知らない。
目・心臓・呼吸・内臓等も生まれてからずっと
休むことなく働いてくれている。
感謝するしかない。
だれがこのような私をつくってくれたのか。
不思議な世界だ。
人は何でも知っていると思うのは間違いだ。
私は今まで生かされてきている。
私が頼んでやってもらっているのではない。
私を生かしてくれる
大きな力・願いが働いている。

■真宗ではいろいろなところで
信心という言葉がでてくる。
法話の最後によく拝読される
御文章・聖人一流の章。
「聖人一流の御勘化のおもむきは、
信心をもって本とせられ候・・・」
御文章・信心獲得の章。
「信心獲得ぎゃくとくすといふは
第十八の願をこころうるなり。
この願をここうるといふは、
南無阿弥陀仏のすがたを
こころうるなり・・・」

この信心という言葉の意味が
分かるようでわからない。
阿弥陀如来の本願力に
私が救っていただくには
信心をもっていないと難しいようだ。
信心とは何かを考えてみた。

■古田和弘師の解説。
正信偈に「正定之因唯信心」とある。
正定の因はただ信心なり。
曇鸞大師は浄土に往生して
仏になることが定まるのは、
ただ信心によると説いた。
信心は自力の信心ではない。
阿弥陀如来の本願により
回向されている他力の信心である。
私は阿弥陀如来の本願に
素直におまかせするしかない。
他力は私が期待するとか、
期待しないとか、
そういうことにはまったくかかわりなく、
一方的に私に差し向けられている
阿弥陀如来の願いなのだ。

■一念多念証文に書かれている。
『無量寿経』(下)のなかに、
あるいは「諸有衆生 聞其名号 
信心歓喜 乃至一念 
至心回向 願生彼国 
即得往生 住不退転」
と説きたまへり。
「諸有衆生」といふは、
十方のよろづの衆生と申すこころなり。
「聞其名号」といふは、
本願の名号をきくとのたまへるなり。
きくといふは、
本願をききて疑ふこころなきを
「聞」といふなり。
またきくといふは、
信心をあらはす御のりなり。
「信心歓喜乃至一念」といふは、
「信心」は、
如来の御ちかひをききて
疑ふこころのなきなり。
至心に回向して、
彼の国に生まれんと願ずれば、
即ち往生を得、不退転に住せん。
とある。
東井義雄師の話では
親鸞聖人は「至心に回向して」
と読まれていたところを、
「至心に回向したまえり」とよんだ。
阿弥陀如来の働きによって私は救われる。
阿弥陀如来から私への至心・回向である。
十七世法如上人は
「助けてくだされよ、というにあらず
 助かってくれよ、とある仰せに従うばかりなり」
といった。
信心とは阿弥陀如来の仰せに従うばかりである。

■高僧和讃に
「信は願より生ずれば 
念仏成仏自然なり
自然はすなはち報土なり 
証大涅槃うたがはず」
とある。 
私の信心は私がおこすものではない。
私の信心は
阿弥陀如来の願いから生じるのである。
念仏によって成仏するのは自然である。
願力を以て成就した世界が報土である。
そこで大涅槃をさとることは疑いがない。

■阿弥陀如来は私を救うため
あらゆる修行をことごとく成就された。
何もかも仕上げたうえで、
間違いなく救うから
そのままお浄土に来なさいと
呼んで下さる。
その証拠を私に
南無阿弥陀仏でとどけて下さる。

■石田智秀師の話。
私が信じるのが信心ではない。
私がどうやって救われるか・
信心を得るのかと考えるのは間違い。
聖教には阿弥陀如来が
どのように私を救うかを書いある。
阿弥陀如来が私を救ってくれる。
信心とは阿弥陀如来の本願を聞いて
疑う心のないこと。
救われることを私がつかむのではない。
つかむ前から
私は阿弥陀如来につかまれている。
阿弥陀如来は私を救おうと、
ずっと働いてくれている。
阿弥陀如来の救いはすでに届いている。
救われることを知ったことがうれしい。
私が南無阿弥陀仏を称えることは
南無阿弥陀仏が阿弥陀如来から
すでに届いてることである。
私が救われている証拠はそれしかない。

■歎異抄後序に
「法然聖人の仰せには、
「源空が信心も、如来よりたまはりたる信心なり、
善信房の信心も、
如来よりたまはらせたまひたる信心なり。
されば、ただ一つなり。
別の信心にておはしまさんひとは、
源空がまえらんずる浄土へは、
よもまえらせたまひ候はじ」
と仰せ候・・・」とある。

■「浄土真宗救いのよろこび」に
「阿弥陀如来の本願は 
かならず救うまかせよと
南無阿弥陀仏のみ名となり 
たえず私によびかけます

このよび声を聞きひらき 
如来の救いにまかすとき
永遠に消えない灯火が 
私の心にともります」
とある。